MY LIFE~今までの人生を振り返ります~

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この世に生を受けて38年。いろんな事がありました。
楽しかったこと、悲しかったこと。

今まで平凡な人生を歩んできましたが、それでもいろんな事がありました。
全ての出来事を記憶している訳ではありませんが、自分にとって印象に残っていることを中心に自分のこれまでの人生を振り返って行こうと思います。

その名も

MY LIFE~今までの人生を振り返ります~

人生の記録

過去の人生を振り返る前に、少し僕の事について触れておきます。
現在38歳の男性、既婚で3人の子供がいます。兄弟は兄が一人います。
運動は全くしていません。仕事はしていますが、不安定なのでブログで副収入を得ようと日々奮闘中です。

何もなさすぎて切なくなってきました^^;

それでは行きましょう!

1978年~(0歳)

公務員の父親と専業主婦の母親の間に次男として誕生。
お金持ちではなかったですが、不自由のない生活をおくっていたと思います。

幼少期は父親の仕事の関係で数年に一度、引っ越しを繰り返していました。

1985年~(7歳:小学生)

小学校に入学する頃には、父親が単身赴任となり、今住んでいる地域に落ち着き、そしてサッカーのスポーツ少年団に入って、6年間スポーツに励んでいました。

小学校時代の思い出1

4年生の頃に担任だった先生の事が好きになり、事ある毎にちょっかいを出すという子供にありがちな、恋に恋をしていた感じです^^;
その先生も僕が小学校を卒業する前に、同じ学校の先生と結婚され幸せに暮らしましたとさw

小学校時代の思い出2

休憩時間に紙飛行機を飛ばしていて、運悪くその紙飛行機が先生の目の近くに当たり、先生マジ切れ!ぶっ飛ばされ号泣。
今の小学校では考えられないですが、最近の子供たちを見ていると、それぐらい(体罰)O.Kの方が良かったと思います。

小学校時代の思い出3

6年生の時に6年1組で出席番号が1番だったので、卒業式の時に来賓に挨拶をして校長先生から卒業証書をもらいました。
大した事ではありませんが、今でも鮮明に覚えています。

1991年~(13歳:中学生)

6年間続けたサッカーを辞めて、バスケ部に入部。
残念ながらレギュラーにはなれませんでしたが、友達にも恵まれ楽しい三年間を送ることが出来ました。

中学校時代の思い出

中学時代は、本当にバスケ一色であまり思い出らしい思い出も無かったですが、その頃「マイケル・ジョーダン」に憧れ、バッシュも「エア・ジョーダン」にしたかったのですが、ただの補欠が「エア・ジョーダン」なんて粋がっていると思われたく無かったので買えずじまい…。
でも部活のシューズとしてではなく、普段履く靴として「エア・ジョーダン5」と「エア・ジョーダン6」は買って履いていたのを覚えています。

あの頃は、スラムダンクの流川楓が「エア・ジョーダン5」、そして桜木花道が「エア・ジョーダン6」を履いていたのでホント憧れたものです!

1994年~(16歳:高校生)

家から一番近い高校通い、何を考えていたのか卓球部に入部。
1年程度続けましたが結局退部して、それからは帰宅部でした。

”家から一番近い高校”というと聞こえは良いですが、賢くはなかったのでその高校ぐらいしか行くとこがありませんでした^^;
その高校は、地元でも結構有名なア◯高校で、昔からいろいろと問題の多い高校でしたが、運が良かったのか3年間そういった問題とは無縁で過ごすことが出来ました。

ただ、小学校、中学校と比べると高校生活はあまり良い思い出もなく、あまり思い出したくないくら~い高校生活でしたね…。
そして、子供なら一度は通るであろう”反抗期”もこの頃からあって、親に対してヒドイ罵声や態度をとっていましたね。

あの頃は本当にすいませんでした。

高校時代の思い出1

その後の進路について、特にやりたいことも無く、流れのままに大学を受験することになったのですが、推薦入試を片っ端から受けては落ちてを繰り返し、結局10校ぐらい受けてやっと地方の大学に合格することが出来ました。

地方の受験には母親と一緒に行っていたのですが、その頃は母親と一緒に電車に乗るのが恥ずかしくて、少し離れて電車に乗っていたのを覚えています。
そして受験にかかった費用を考えると本当に両親には申し訳ないことをしたと思っています。

高校時代の思い出2

高校卒業後、小学校からずっと好きだった人に告白をしました。
小・中と一緒で高校は違う高校だったのですが、高校卒業後に友達と一緒に遊ぶ機会があって思い切って告白。

心臓をバクバクさせながらもなんとか付き合いうことになりましたが、その先は次の大学時代でお話します…。

1997年~(19歳:大学生)

地方の大学だったので、親元を離れはじめての一人暮らし。
慣れるまでは大変でしたが、慣れてしまえば親からもうるさく言われないまさに”自分の城”状態で楽しかったです。

そして気になる!?彼女とのその後ですが、遠距離恋愛が始まり、始めの頃は携帯電話で連絡を取り合ったりしていましたが、時間とともに電話回数も減り、結局自然消滅的な感じで終わりました。
付き合っていたとも言えないぐらいですが、3ヶ月程度で終了…。

※大学生活はほとんど僕の恋愛日記になりますがご了承ください^^;

それからしばらくして、同じバイト先の女の子の事が気になり初め、勇気を振り絞って告白したら撃沈…。
※決して軽い男ではありません!

それから、違うバイト先で仲良くなった女の子が誕生日に遊びに来る事になり、パイを作って、ウクレレで「Happy birthday to you」を歌うというなんとも気持ちの悪い事をして告白して撃沈…。

どうか嫌いにならないでくださいw

以上、僕の恋愛黒歴史でした^^;

大学時代の思い出1

地元の友達が、遊びに来てくれる事になっていたのに僕はそのことを忘れていて、連絡もとれずに結局会えずじまい。
約3時間もかけて来てくれたのに友達は怒って帰る!という由々しき事がありました。

あの時は本当にごめんなさい。

※その友達とは今でも仲良しですw

大学時代の思い出2

大学2年の頃、友達の紹介で出会った女の子と付き合う事になりました。
その子の地元が群馬県で、夏休みに地元に帰っていたので、原付きバイクで10時間かけて群馬まで行ったのを覚えています。
若かりし頃の良い思い出ですね!

2001年~(23歳:社会人)

大学卒業後、地元に戻り食品関係の会社に就職し、約1年で退職。
大学4年行っても、やりたいことも見つからず、ダラダラと過ごしていた結果がこの始末ですね…。

その後「やっぱり資格!

と思い、パソコン関係の資格と何故かフォークリフトの資格を取得w

完全に迷走しています。

2003年~(25歳:社会人)

その後、パソコン関係の資格を活かそうとパソコン関係の就職先を探していた時に見つけた会社にアルバイトとして入りました。
やはり資格だけではダメですね。実務経験がないと何の役にも立ちません。

そちらの会社でアルバイトとして1年ぐらい働き、社長のご厚意で正社員にしてもらいました。
この時、資格を持っていただけでパソコンの事はほとんど知らなかったのですが、本当にいろんな経験、いろんな事を学ばせて頂きました。

この会社で働いている時に、社員旅行で海外に行ったのですが、旅先で言った社長の言葉を今でも覚えています。

この旅行は俺が連れてきたんじゃない!

お前たちに連れてきてもらったんだ!

僕はこの言葉を聞いて本当に感動して涙したのを覚えています。

この会社には約4年いましたが、その時の先輩と「富士山」にも登り、そして「ホノルルマラソン」も走りました。

富士山登頂

一度は登ってみたかった富士山に、仕事終わりに会社を出発して富士山の頂上からご来光を拝もうと出発した訳ですが、富士山はそんなに甘くないですね。
結局、頂上まで10時間ぐらいかかり途中でご来光を拝むことになりました^^;

ホノルルマラソン完走

ホノルルマラソンはいろいろと思うところがあり走ることになったのですが、一応完走は出来たものの途中から足を痛め、14時間かかってなんとかゴール。
途中、現地スタッフの方が「Are you OK?(大丈夫?)」と声を掛かられましたが、何とか走りきることが出来ました。

そしてある意味伝説を残しました。
その時28歳で、その日ホノルルマラソンを完走した25~29歳の中でべべ(最下位)でしたw
完走者のリストは、次の日新聞に載るのですが、その時の新聞は今でも大切に保管しています^^;

今ではどれも良い思い出です。

2005年~(27歳:社会人)

この年、積水ハウスで家を建てました。
いろいろと事情があって、結婚よりも先に家を建てることになりましたw
やっぱり家は結婚してから建てるものですね!キッチン周りは彼女の意見を聞いていましたが、それでもやはり不満はあるようで後からいろいろと言われました^^;

2006年~(28歳:社会人)

この年、前職で知り合った女性と結婚しました。
結婚式では「やりたいことを全部やろう!」と思って、あれもこれも詰め込んだら、費用はなんと500万円
あの頃は何も考えずに、勢いでやってしまいましたが、今思えばそこまでする必要はなかったですね^^;

それでもお金をかけたからという訳ではありませんが、来てくれた皆さんも大変喜んでくれて今でも毎年結婚記念日にはDVDを見ていますw
そして、子供にも恵まれ、今では3人の子供の父親です。

2007年~(29歳:社会人)

この年、僕の人生の転機となった「独立」です。
前職の会社の先輩と二人で独立しました。

以前から起業したいという気持ちはあったのですが、なかなか踏み出せずにいた時に、会社の先輩にも独立する意志があったので一緒に起業することになりました。

初めは個人事業主として起業し、その後業績も上がってきたので株式会社となったのですが、それまでいろいろとありました。
事業計画や売上予測などそれなりの準備をして起業しましたが、始めの1年は売上もほとんどなく、当然給与ももらっていませんでした。

その後、少し上向きになり始めて、何とか生活できるようにはなりました。
売上が良い時は、同じ年代の社会人と比べても、かなり多くもらっていたと思います。
しかし、良い時もあれば悪い時もあります。給与が突然、半分になる時もありました…。

それでも何とか協力して今も頑張っています。

2016年~(37歳:社会人)

個人事業主として起業しました。
本職はもちろん続けていますが、いろいろとお金もかかるので副収入を得るために起業することにしました。
収入的にはまだまだ微々たるものですが、これからも頑張って収入を増やしていこうと思っています。

現在(38歳:社会人)

そして起業して9年。独立したことに全く後悔はありませんが、会社勤めと比べると安定もしないし、先行きも不安です。
それでも奥さんの協力やまわりに助けてもらいながら何とか頑張っています。

今までの人生、後悔や失敗もたくさんありましたが、僕は自分の人生をけっこう楽しんでいます!
一度きりの人生。楽しまないとダメですよね!

ここまで駆け足でここまで書いてきましたが、振り返ってみると結構書くことがあって自分でも驚きです^^;
無駄な人生なんてひとつもありませんねw

この記事は、この先も10年、20年とブログがある限り自分の記録として更新していこうと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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